コンパニオンバード日本での歴史|インコの飼い方

日本で鳥が飼育されるようになった歴史

皆さんは「幸福な王子」という短編小説をご存知ですか。

幸福な王子とは、街の中心部に高くそびえ立つ王子様の銅像が自我を持ち、街に住む貧しい人々や不幸な人々を見て嘆き悲しんでいたのです。そこへ今からエジプトへ旅立とうとしていた渡り鳥のツバメが寝床を探しているとき、王子様の銅像を見つけ、足元で寝ようとしたら突然上から大きな水の粒が落ちてきました。ツバメは驚き、上を見上げると、王子様の目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていたのです。

ツバメは驚いたのですが、王子様の銅像がツバメにこの場所から見える不幸な人々や貧しい人々に私の目にはめられた宝石を渡してきてほしいと懇願したのです。

ツバメは彼の願いを聞き、剣に付けられた宝石と両目の宝石を街の人々に持って行きました。

そして、目が見えなくなった彼のためにツバメはエジプトへ渡るのを止め、彼のために街の人々へ王子の一部を運んで回ったのです。

とうとうツバメは力尽き、同時に王子様の銅像も壊れてしまったという物語です。

子供の頃によく聞いたお話なので覚えている方も多いのではないでしょうか。

この物語からヒトと鳥の深い絆を感じ取ることが出来ます。こういったヒトと鳥の物語は他にもあり、鳥はヒトの心に寄り添い、共に生き抜いてくれる存在として多くの物語に登場します。

日本では、鳥といえば、夜雀や青鷺火、祟徳帝の黄金の鷲などの妖怪や金色の鵄や波山などの霊鳥の伝説が多く聞かれます。特に中国の朱雀や鳳凰などは日本でもお馴染みの霊鳥としてとても有名です。

では、数多くの鳥に纏わる伝説が残る日本ではコンパニオンバードと呼ばれる愛嬌のある人懐っこい飼鳥が飼育されるようになったのはいつ頃かご存知ですか?
今回は日本の歴史と鳥の関係性についてご説明したいと思います。

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日本の歴史とコンパニオンバードの関係性

人類史上で最古の時代と言われる旧石器時代ではヒトが動物と共に生活していたことが神奈川県にある夏島貝塚から発掘されました。日本における旧石器時代とは、縄文時代より以前の歴史のことを表しており、この頃は鳥類ではなく、キツネや柴犬のような犬型の動物だったそうです。

その後、日本に水田稲作文化が伝来し、弥生時代になると古代エジプト同様、卵を産む鶏の飼育が始まります。
3世紀から7世紀になると日本国内では古墳が多く建設されるようになり、支配者のためにウやガン、カモ類などの水鳥を飼養し、飼部(かいべ)と呼ばれる鳥類を飼育する専用の民が登場します。

飛鳥時代になると、クジャクや新羅、オウムなどの鳥類が帝に献上されたことが六国史の1つである「日本書紀」に記されており、海外からの珍しい鳥類たちも日本国内にやってきました。

平安時代中頃に描かれた「枕草子」や「源氏物語」には、当時平安時代に流行していた雀のヒナを飼い育てる遊びが克明に記されています。平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、貴族の間では、ヒヨドリを飼育し、鳴き合わせを行うイベントが開催され、室町時代になるとヒヨドリから鶯へと変わり、鳴き合わせが行われるようになりました。

江戸時代になると、和鳥と呼ばれる鶯やメジロ、雲雀、オオルリなどが飼育されるようになり、海外からやってきた文鳥やカナリア、ベニスズメなどが人気を集めるようになります。

明治時代になると江戸時代より盛んになった和鳥の飼養が盛んになるのですが、国際間で商品の輸出入取引が積極的に行われるようになったことで海外から珍しい飼鳥が大量に輸入されるようになります。そして、明治時代初め頃に愛知県名古屋市付近で誕生した白文鳥は海外からとても人気があり、外貨を獲得する有力な輸出物として積極的に繁殖が行われました。

1906年4月に刊行された「風俗画報 339号」にて、目白・鶯・雲雀・駒鳥・赤鬚・十姉妹・金華鳥・文鳥が特集されており、当時の飼い鳥人気が克明に記録されています。また、飼鳥が籠もしくは禽舎などで巣を作り、ヒナを育てて繁殖を行う巣引きによって誕生した巻毛金糸雀がたいへん人気を集めました。
明治20年頃になると、松森胤保氏が自筆で描いた「両羽禽類図譜」によって海外から日本へズアカサトウチョウやセキセイインコがやってきたことが分かります。
当時はさほど人気がありませんでしたが、1924年の大正時代終わり頃になると、セキセイインコなどの海外からやってきた飼鳥が大流行し、翌年の1925年には日本国内にて巻毛の変異種が誕生し、これが芸を覚えるセキセイインコの発端へと繋がります。

終戦後の1952年になると、英国で品種改良された大型の飼鳥が「高級セキセイ」という名で、日本国内で広まり、今もなおセキセイインコはインコの中で根強い人気を誇っています。

中国の愛鳥文化の発展

日本では、江戸時代の頃から山雀のおみくじ引きなどの芸を行う飼鳥が街を賑わしていました。その後、大正時代になり、山雀が行っていた芸を文鳥へ教え、多くの人々を楽しませてきました。

特に文鳥占いは1995年に周遠生氏著「民族動物学」の中に、文鳥を用いた占いは香港や韓国、台湾などでも行われており、インドではワカケホンセイと思われるインコに御札を引かせる占い方法が存在したことが記されています。

的中率の高い四柱推命や古来から伝わる占術風水など優れた占術を編み出してきた中国では、清の時代より首都・北京にて小鳥の愛玩飼養が積極的に行われるようになり、清の時代終わり頃には、鵤(斑鳩)を飼い馴らし、澄んだ青空に向かって玉を投げてキャッチさせたり、?(交喙)に錠前開けや旗を加えさせる芸を覚えさせ、街行く人を楽しませたそうです。

中国の飼鳥文化の歴史は古く、近世の清朝から現在に至るまで飼鳥の繁栄には目を見張るものがあります。特に中国の飼鳥文化は日本へ多大な影響を与えたと言われています。
中国では、古来よりガビチョウ・ソウシチョウ・チョウセンメジロ・マヒワ・鵤・小鵤・コウテンシ・ハッカチョウ・コウライウグイス・九官鳥といった飼鳥が土産の籠鳥として人気がありました。
そして、時代は移り変わり、1910年頃からは中国にお住いの御老人たちは、自宅から持ってきたであろう鳥籠を町にある公園や広場にある大きな木の枝に吊るし、小鳥の美しく心地良いさえずりを聞きながら木陰で寛ぎ、まったりした時間を過ごした後、枝から鳥籠を取り、満足した表情で鳥籠を片手に帰宅する姿が多く見られます。21世紀になった現在でも一家に1つは鳥籠があるそうです。

日本のインコブームについて

日本では癒しを求めるコンパニオンバードよりも芸を覚えて人々を楽しませる芸達者なコンパニオンバードや、美しい容姿と心地良いさえずりを持つラブバードの人気が高い傾向にあります。

古くから日本では、神奈川県の夏島貝塚で発見された犬のような動物がヒトと共に埋葬されていたり、丁寧に埋葬されているなどヒトの相棒は犬種だと決まっていました。また、平安時代中期の天皇・一条天皇は猫愛好家、江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉は愛犬家で知られています。そのため、当時は鳥類に愛情を注ぐよりも芸を覚えさせ、人々を楽しませるものという位置付けが高い傾向にあります。

日本国内でヒトに寄り添うコンパニオンバードの飼養が行われるようになったのは昭和40年から50年頃と言われており、手乗り文鳥やインコなどが爆発的なブームとなります。
日本におけるコンパニオンバードの歴史は比較的浅いですが、現在インコが放つ独特な臭い「インコ臭」によって再びインコブームがやってくるのではと噂されています。
しかし、このインコブームに飼鳥愛好家の方々から厳しい意見が上がっています。

インコやオウムなどの飼鳥は愛玩動物ではなく、伴侶動物と言い、種類によっては人間よりも長く生きる個体も存在するため、誰でも気軽に飼育できるわけではありません。また、鳥類は体調が悪くてもなかなか表に現れないため、突然亡くなったり、温度や湿度管理も徹底する必要があるため、気軽に飼育出来るわけではないと訴えています。

今回は、日本及び中国の飼鳥文化の歴史をご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
今や多数のメディアで飼鳥は誰でも気軽に飼えるペットとして特集されておりますが、飼鳥愛好家の方々が仰るように簡単ではありません。
これからインコやオウムなどコンパニオンバードを購入しようという方は、自身が飼育したい鳥類についてしっかり知識を付けてから購入し、生涯大切に育てるという気持ちで迎えるようにしましょう。

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