コンパニオンバードの歴史|インコの飼い方

コンパニオンバードが飼育されるようになった歴史

とどまることを知らないインコブーム、特にインコが放つ独特の臭いは穀物類やバターのような香ばしい香りがするため、飼鳥愛好家や臭いフェチの方々の間で話題となり、今ではインコアイスやインコ香水、インコの入浴剤などインコ商品が続々と登場しています。
また、その臭いを嗅ぎたいがためにインコを購入される方やインコカフェに足蹴なく通う方もいらっしゃり、今後ますますインコブームが加速するのではと言われています。

そんなインコですが、特に人懐っこい個体をコンパニオンバードと呼び、ヒトとのコミュニケーションを好み、愛情をたっぷり注いでくれた相手に心から尽くし、ヒトの感情を敏感に感じ取ることで共に喜び、怒り、悲しんだりと様々な表情を見せてくれます。そのため、過疎化が進む市町村や独り暮らしの方、子供が手を離れてしまった夫婦などぽっかりと空いた心の隙間を埋めてくれます。

インコやオウムといったヒトに寄り添うことの出来るコンパニオンバードがヒトに飼育されるようになったのは、紀元前6000年頃ではないかと言われています。

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コンパニオンバードとヒトが共に生活をするようになった歴史

ヒトが鳥類を飼育するようになったのは、紀元前6000年頃だと言われていますが、当時は肉や卵など良質なタンパク源の摂取を目的に飼育されていたニワトリが始まりだといわれており、その後、食用としてではなく、ヒトの心を和ませる愛玩または観賞として鳥を飼育が始まったと言われています。

特に古代エジプトでは、ヒトと鳥が深く関わる文献や資料などが多数存在しており、アフリカ大陸北東部を北流する世界最長の大河として有名なナイル川流域では、農耕文化が発達しており、たくさんの鳥たちが集まってきたと言います。
古代エジプトの人々は集まってきた鳥たちを狩りながら生活をしていました。

紀元前2400年頃になるとガン類やクロヅル類などを飼育するようになり、強制的に太らせる肥育が行われるようになります。そして、紀元前1400年頃にはモモイロペリカンを飼育し、その肉や卵を食べていたことが墳墓に描かれており、ヒトが鳥を食用として飼育していたことが明らかとなりました。この頃、猛禽のハヤブサ類は信仰の対象として飼育されていたのですが、鷹狩として用いることも無く、また集まってくる小鳥たちを籠の中で飼育することも稀だったと言われています。

鳥類を飼育するようになったのは古代ギリシアからではないかと言われています。
古代ギリシアでは、小鳥を飼育する青年の墓碑の浮き彫りが発見されており、さらに発掘された壷などにも小鳥と楽しそうに戯れるヒトの姿が描かれていたのです。
しかし、紀元前5世紀頃は小鳥を子供のおもちゃとして捉えていた部分があり、子供は嬉しいが鳥たちにとっては迷惑な状態だったのではないかと言われています。

古代ギリシアで有名な喜劇作家・アリストパネース氏は紀元前414年に「鳥」を上演し、自らも人語を真似ることが出来るニシコクマルガラスを飼育していたことが明らかにされました。さらに紀元前4世紀頃の動物学者でもあり哲学者でもあったアリストテレス氏は「動物発生論」を発表し、ニシコクマルガラスに纏わる事柄が事細かに記されています。
そのため、古代ギリシアではニシコクマルガラスが一般的に飼育されていたことが分かります。また、5世紀頃から美しい観賞用のインドクジャクが伝わり、とても高価で貴重な鳥類として注目を集めていました。

その後、紀元前1世紀頃のローマでは、博物学者のプリーニウス氏が記した「博物誌」では、ゴシキヒワの賢さや器用さを詳細に記しており、さらにペトロニウス氏の風刺小説「サテュリコーン」には、鳥が大好きな少年がゴシキヒワを飼育していたことが記されており、当時ヨーロッパ地方では多くの家庭で小さな小鳥・ゴシキヒワが変われていたことがうかがえます。他にもクロウタドリやホシムクドリ、カワラバトなどが飼育されており、さらに海外からやっていた美しい小鳥・インコも多くの人々から愛され、大きなお屋敷では綺麗に整備された庭園に風切り羽をカットされたであろう小鳥たちが放し飼いにされていたと言います。

3世紀頃のローマ時代では、ドイツ西部のライン川沿いにあるケルンにあるモザイクには、オオホンセイと見られる顎の周りが赤色をした緑色の小鳥が2羽で車を引く絵柄が在ります。このことから、当時の人々は飼育している鳥たちに芸を仕込み、大衆の間で披露していたのではないかと言われています。

ここから一気に歴史が進み、15世紀頃になり、大航海時代に突入すると航路が開けると、オウムやインコ類が多数生息する中南米や東南アジア、オーストラリアの鳥類が世界各国に広まるようになります。
スペインの宣教師であるホセ・デ・アコスタ氏は、1590年に「新大陸自然文化史」を発表し、その中でメキシコや南米に生息する様々な鳥類たちが祖国の王と諸侯に献上されていることを記しています。献上された鳥類の中で最も美しい羽色を持つと鳥としてコンゴウインコがとりたてて記されています。

16世紀から17世紀になると、ベニコンゴウやルリコンゴウなど豪華絢爛で存在感のある大型インコが飼育されるようになり、ヨーロッパ各地の貴族たちは大型のインコを飼育することこそがステータスとなり、大勢の貴族たちの間でインコの飼育が行われるようになります。

18世紀頃になると、イギリスの植民地であったオーストラリアに棲息している鳥たちが世界各国へ広まります。特に飼育のしやすさと誰からも愛される愛嬌を持ったセキセイインコやオカメインコはインコ界の出世頭と呼ばれており、1840年頃にセキセイインコがイギリスへやってくると、たった10年ほどでヨーロッパ各地へと広まり、1972年にはヨーロッパ北西部の立法王国であるベルギーにて、黄色の色変わりが作出され、それに続くかたちで様々な地域で変異種が誕生し、オウムやインコ類では唯一の自宅で飼育することが出来る家禽種として広まったのです。

実はセキセイインコよりも前にアフリカの北西方位にあるカナリア諸島にて、心地よいさえずりと可愛らしい見た目のカナリアがヨーロッパ地方で人気を集めており、特に17世紀頃のイタリアやドイツではカナリアの人気が高く、18世紀頃になるとカナリアはドイツで変異を生じ、19世紀になるとドイツでは声を、ベルギーでは形を、イギリスでは色彩の改良が行われ、カナリアの育種が確立されました。

18世紀頃になると、今まで美しい声でさえずるカナリアや芸達者なインコなどを飼育するのが1つのファッションとなり、美しく着飾った女性たちは鳥籠を頭に乗せて結い上げ、過剰なパフォーマンスをするようになります。
また、イングランドの南部地方では、1789年にギルバード・ホワイト氏が記した「セルボーンの博物館」にて、ガラスの金魚鉢の中央に空間を吹き、その部分にゴシキヒワやムネアカヒワといった小鳥を閉じ込め、金魚が悠々と泳ぐ中に入れ、小鳥たちが飛び跳ねている様子を見て楽しむという娯楽が流行していることを明らかにし、趣味が悪いと批判しました。
19世紀頃になると、フランスではオウムやインコなどの鳥類は相変わらず飼育され、女性のファッションの一部として飼育されていたのですが、動物愛護思想に裏打ちされたことにより、現在では責任を持って生涯大切に世話をすること、絶滅が危惧されている品種の保護など厳しいルールが課せられています。

今回は世界のヒトと鳥類の歴史についてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
歴史を振り返ると、今までヒトは鳥を「物」のように扱ってきた帰来があります。しかし、鳥たちはヒトに好かれようと芸を覚えたり、言葉を学んだりとヒトのために尽くしてきました。もちろん、鳥によって言葉を覚えるのが苦手な種も存在します。
ですが、ヒトに寄り添おうと必死に愛情を注ぎ、私たちに尽くしてくれました。そんな鳥たちは、今「寂しいから」「良い臭いがするから」といった理由で購入されるようになり、飼育できなくなったら逃がしてしまえばいいと野に放ってしまう方もいらっしゃいます。

コンパニオンバードはとても懐っこい可愛らしい鳥ですが、購入するのであれば最後まで責任を持って飼育するようにしましょう。それが、今まで鳥たちを物として扱ってきたヒトが学んだ知識ではないでしょうか。

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